平成04年05月12日 参議院 法務委員会

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参考人(弁護士) 新美隆
このときの指紋を導入せざるを得なかった理由というのは、朝鮮半島からの密入国者の取り締まりということに尽きたわけであります。

1952年4月の「警察時報」という雑誌に国警本部警備課の担当者が次のように書いております。在日朝鮮人というのは100万を既に51年段階で超えていたはずだ。しかし、51年10月末の登録人数というのは56万人しかいない。すると、約40万人近くが不正規在留者として我が国に存在をしていることになる。この人たちをどうするかと。

こういう発想がこの51年段階での警察及びこの特別委員会の発想でもありました。

一たん日本社会に潜り込んでしまったこの不正規在留者、不正規居住者をどのようにしてあぶり出していくのか、当時は朝鮮戦争下でもありましたから、これは同時に防諜の目的も持っておったわけであります。ここで指紋が導入されたわけであります。

当時は、一人の密入国者でもこれを見逃せば国家の利益に対して取り返しのつかない不利益があり得るというこの発想に縛られておりました。そのために、外国人登録証明書に従来写真だけ張ってあったのを指紋をも加える、そして法務省入国管理局ですべての外国人から押された指紋の原紙を切りかえ年度ごとに照合して鑑識をする、それで一たん潜り込んでしまった不正規在留者をあぶり出し、選別していくというのがこの52年以降の指紋制度の実質でありました。

ところが、55年以降の指紋制度の体制というものは、1958年に日中貿易を促進するために1年未満の在留者の指紋免除を政治的にせざるを得なかったことによって大きな一角が崩れただけではなくて、実際にもそのような人員と費用をかけての効果というのはあらわれませんでした。そして、ついに1970年には指紋照合の体制というものを法務省当局は中止しましたし、74年には法務省にとって最も重要な指紋原紙の省略通達まで出しております。このころには既に、人権とかそういうものを仮に外したとしても、指紋制度の効用というのは終わっておったわけであります。この時点で法務省当局は事態を明らかにして指紋を廃止すべきであった、歴史的に考えるとそういうことが言えるのではないかと思うわけであります。

現在、過去のアジアに対する日本の侵略とか植民地支配の見直しの問題、克復の問題、補償の問題というのがいろいろ問われております。

1952年、占領から脱すると同時に我が国が自前で外国人登録法を立法したときに、日本の制度の中では初めて行政制度としての指紋制度を導入してしまったというのは、ある意味では不幸な、誤った出発であったというふうに考えざるを得ません。

指紋制度は、現在の自衛隊と同じように朝鮮戦争の落とし子であります。